むつみ屋東松山店
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実録・むつみ屋東松山店誕生まで  (長文でスミマセン)

 私、プロフィールにも書きましたように、前職は競輪選手でした。子供の頃からの夢が叶い、素晴らしい仲間にも恵まれ、がむしゃらに走りました。成績も上々で、あと少し普通に走っていればS級(当時全選手数の一割で構成されるトップクラス)に上がれるという時、膝を故障し、手術を余儀なくされました。平成7年のことです。もちろんすぐに復帰し、またS級目指し走り始めます。しかし中々元には戻らず膝の調子も悪いままでした。選手の中には復帰不可能というほどの病気や怪我のあと、S級に上がる人もたくさんいましたので、自分は根性なしなのか、向いていないのか、と悩むことが多くなりました。元々自転車が大好きだったので、そのまま惰性のように選手生活を送りつつ、読む本は他の業界に因むものが自然と増えていったような気がします。妻の父が実業家だったことも大いに刺激になり、先の人生を考えた時、もう一度大きな目標を立て頑張るべきなのでは?と思いました。恐らく選手を辞めた後の人生の方が長いのだから・・・

 先ず手始めに趣味の延長で犬の床屋さんとドッグフード販売を始めました。毎日が勉強で、これだけで生計をたてるのは可能であるが、大変だなぁと感じました。選手をやりながらでは難しかったです。(因みに妻の出産をきっかけに犬の床屋さんはやめてしまい、現在ドッグフード販売のみ続いています。)選手の中には副業と競輪を見事に両立させている方もいます。私のような凡人には不可能であったので、本当に頭が下がります。

やはり何か始めるならそれなりの覚悟が必要だと思いましたが、その時点で例えばサラリーマンになったり、職人さんに弟子入りしたりというのは、時間・収入などを考えると無理と判断しました。「アントレ」でみつけたFCフェアに足を運び平成13年むつみ屋の本部と初接触。独立するなら「商売の仕組みを授業料払うつもりで」とFCに決めました。正直申し上げますと当時はむつみ屋とは決めていませんでした。集客・商品内容・運転資金など、色々考え、飲食店でいこうと決めるまでは時間はかかりませんでしたが、そこからが長かった。しかし「むつみ屋」のらーめんを食べた時、本当に嬉しかった。すごく美味しかったし、このらーめんを出す店を持ちたい!と思ったから。胸のつかえが取れたようでした。

 その平成13年、妻の父が亡くなりました。単身赴任先のフィリピンで。何度かフィリピンに渡り後片付けをしながら、父の功績を見ました。何も教わっていないのに、色々教わりたかったのに、いなくなってしまった。強くならねば。固く誓ったのを思い出します。

 本部の方と相談しながら物件探しが始まりました。当初土地勘のある川越、池袋に絞り探しましたが、これが苦労したぁ。決まりそうになると、「大家さんがね、あなたじゃなくて、他の人に貸すことに決めたって。」これです。何度かありました。まぁ、自分が大家さんなら、やはり商売初めての人より実績のある人を選びますよね。仕方ないことです。本部の方も「こればかりは縁ですから。諦めないで頑張りましょう。」と励ましてくれました。何より私には「強くなるんだ」「絶対やる」という気持ちがありましたので、諦めはしませんでした。ただ焦りはありました。一年以上探していましたから。

競輪、物件探し、犬の仕事と忙しく過ごしていたその頃、忘れもしない平成14年7月7日事件は起こりました。疲れた体に鞭打ち練習に出かけた私は、落車事故に遭いました。いまだに前後の記憶がないので詳しくは分かりませんが、単独の事故だったそうです。長い下り坂の終わりの辺りで倒れていたそうです。そこは下りの勢いを利用してスピードを付ける練習に普段から利用していた場所で、時速80`は出るところです。そんな状態で転倒したのですが、ある箇所を除き殆ど無傷でした。こんな書き方をすると「良かったねぇ。不幸中の幸いだねぇ。」と言う声が聞こえてきそうですが、ある箇所とは・・・・・頭と顔面でした。救急車の中で意識を取り戻した私は、顔面の擦過傷がひどいということ、鎖骨が折れていることを自覚しました。病院でのやりとり、「先生、鎖骨痛いので何とかして下さい。痛み止めとか。」「君ね、鎖骨はともかく頭蓋骨割れていてね、CTに出てるけど出血があるんだよ。ウチじゃ手に負えないから防衛医大行って。救急車今来るよ。あ、あと奥さん呼んで。」   ガーン。救急車って、今俺救急車で来たんだよ。ここ脳外科もやってるはずだろ。嫁さんに話さなきゃいけないほど悪いのか?  防衛医大の集中治療室で「死んじゃうのかな」ふと思いましたよ。本当に不幸中の幸いで、命は助かりました。顔面神経麻痺と擦過傷痕は残ってしまいましたが。

 何故こんな話を書いたかと言うと、決してお涙頂戴ではなく、東松山のこの物件が決まったのは防衛医大のベッドの上だったのです。見舞いに来てくれた後輩の井上善裕選手が、「富雄さん、松山でやればいいんじゃないですか?俺ちょくちょく行っちゃうよ。」松山かぁ。まあ一応電話しとこう。そして不動産屋に電話「川越と池袋の他に東松山もリストに加えてください。」間も無く自宅にFAXされてきたのが今の物件なのです。あれほど決まらなかった物件が、いとも簡単に。初めに考えていた場所と違うので、妥協もしたし思い切りもいりましたが、運命的な何かを感じたものです。この大怪我がなければ、ひょっとして今も選手生活にしがみついていたかも知れない。どちらが良いか悪いかでなく、自分が商人になろうと決めていて、でも競輪に未練があって、そんな時にもう迷わせないぞと強引に後押ししたのがこの怪我だったのかなと。本当に人生何があるか分からない。でも今は新しい仲間にも恵まれ、新たな目標に向かって頑張っているので幸せです。

 さて、物件を初めて見たときのこともお話ししましょう。車を走らせ物件に近づくにつれ、「あれ、来たことある。」と何度も思いました。それもそのはず、競輪の練習では高坂や嵐山方面をよく走るのです。ただ、膝を故障してからは長い距離を走ることが減りましたので、東松山市を通ることも減っていたのです。ましてや交通量の多い国道は自転車で走らないので、物件の前は初めて通るはずなのです。しかしすぐそばを通っていました。

 これがまた因縁深いというか、17年程前の私が高校生の時まで時代は遡ります。今も変わらないのですが、私歴史好きでして、高校生の時は特に古城址巡りにはまっていました。城巡りといっても、姫路城や熊本城などの立派な天守閣が残っているものより、大きな城の支城や又支城にあたる、土塁と空堀のみ残っているような渋い(あくまでも私が思っているだけですが)城が好きなのです。埼玉には今も保存状態の良い城がたくさんあるのですよ。それで、高校のときに富士見市から自転車でエッチラオッチラと松山城(店からすぐの場所)を見学に来たのです。愛車を担いで本丸址まで登りました(ちょっとした山になっています)。感動したのは良く覚えていますが、まさかこの地で働くことになろうとは夢にも思いませんでした。因みにあの感動をもう一度ということで、今も時々松山城には登るんですよ。オープンして間もなく相棒の木村にもこの感動を味わって貰おうと、無理矢理連れて行き、「な、すごいだろ。この空堀。」などと語りかけると、「あ、は、はい。」と微妙な反応でした。

まぁこの様に数多くの友人が犠牲になっています(笑)まぁずマニアックな趣味ですよね。

 また、店の脇の道、八丁湖方面へと続く道は、アップダウンが競輪の試合前の調整に丁度良く、膝を故障する前は試合前になると必ずと言っていいほど良く通った道なのです。だから店の前に初めて立った時は、本当に不思議な感覚でした。自分の地元のような気がしました。

 「実録・むつみ屋東松山店誕生まで」とタイトルを決めた時にはもっとさらっと書くつもりでしたが、思い入れが強いのでついつい長くなってしまいました。むしろもっとお話ししたい位です。しかし先に進まないので違う話へ行きます。

 なぜ私が起業したのか、そして業種、物件が決まるまでをご紹介しました。

 物件が決まってからは、むつみ屋本部とFC契約。そして研修という名の修行が待ちかまえていました。並行して求人広告を出し、スタッフを募集。これまた見つからず焦りました。結局私より年上の元中華料理の職人だった人と、高卒見込みの女性一人を社員候補として採用し、共に研修を受けることにしました。FC契約上、研修内容は詳しくお伝え出来ないのですが、私共の担当指導員の方は職人気質の厳しい人でして、結果これが非常に良かった。らーめん作りから商売の心構えまで、幅広く学びました。しかし、本部の提示した研修期間の一ヶ月というのはあまりに短く、調理経験のない私には正直厳しかった。(現在はまたシステムが変わったようですが)ただ幸運にも中華職人がいましたので心強かったです。オープン後はチーフとして頑張ってもっらうことになります。研修の場所は西武園競輪場からすぐの東大和店に無理を言って受け入れてもらいました。競輪参加と両立しなければならなかったので大変でした。同時に資金作りや諸届け、必要な資格取得など、とにかく忙しかったことを思い出します。指導員からは「大変だろう。しかしオープンしてからの方がもっと大変だから。覚悟しておいて。」と言われました。「おいおい、マジかよ〜。これ以上大変ってどういうこと?ありえないんですけど。」

心の中でつぶやきました。店舗デザイン決定、スタッフ募集、等々なんとかこなしてオープンへと突き進む訳ですが、ここでもう一つ大事なお話。今の相棒の木村とは、研修場所である東大和店で出会ったのです。オープンから一ヶ月の約束で助っ人に来てくれることになったのですが、そのまま東松山に残ってくれることになったのです。これも不思議ですよね。もし本部指定の研修場所で研修を受けていたら、彼とは出会わない訳ですから。今は彼も東松山店と一心同体です。

 備品購入なども彼と一緒にホームセンターその他各店に買い物に出かけました。買う物の数も半端ではなく多いものですから、かなりの時間と労力を使いました。「世の中にお店の数だけドラマがあって、思いがあるんだな。そんなこと考えもしなかったよ。」木村と語ったものです。

 骨折り話はまた別の機会に。FC起業する人や、現在個人でお店を経営している人たちとコミュニティーを作ろうと考えています。ともあれ強力な助っ人を得て、万全の態勢(後にただの思い込みだったことを知ることとになるが)で平成15年1月開店しました。オープン後のドタバタでは多くのお客様にご迷惑をお掛けしました。この場を借りてお詫び申し上げます。

 あれに懲りて当店から遠のいてしまった方でこのサイトをご覧になった方がいらっしゃいましたら、騙されたと思ってもう一度お越し下さい。何倍も良くなっていますから・・・そして是非私助川にもお声掛け下さい